日刊嶋根

毎日刊行する嶋根いすずのエッセイ

女に教われない

2024-5-29

同性が目の前にいるだけで肋骨のあたりがちょっと固くなる(息が苦しい)。
女教師、女医、バ先の指導者が女性だった場合、など本当に最悪である。差別的な意味ではないが、できれば女には教わりたくない。男性がいい。

原因はわたしの自他境界のゆるさにあるんだろうと踏んでいる。自他境界は「自分と他者は別のものである」という認識のことで、わたしはこれがけっこう曖昧だ。とくに同性に対して曖昧だった。

男が女を怒ってるよりも女が女を怒ってる光景のほうが見ていられない。同性のとなりにいるときの、言葉や目線や息遣いにまで耳を立てられ、ねちねちと頭の中を読まれてる感じが気持ち悪い。
異性にはそんなこと思わないので、読めるわけないし読まれないと無意識に考えている。彼らとわたしは別々だ。むしろ、まったく違う言葉をはなして、まったく違うものを見て生きていると思う、それがちょっと寂しくなるくらい、わたしと異性は遠い存在である。

多少ひどいことを言われても(この人はあたしとまったく別物なんだ、一切理解できないところにいるんだ、仕方ない)と割り切れる。

異性には、余計なことを読まれずに済む安心感がある。言葉以上のことは伝わらないと思う。それは「わたしには伝えたいことを自主的に選択する権利がある」ということである。一人の人間として尊重されている……とゆうか、わたしがわたし自身を他者と切り離して尊重できるか、である。

それに対して、同性の「近さ」。異性が遠いあまり相対的に見て近く感じるだけなのかしれないが、しかしその距離感は世間全体に蔓延っていて、わたしたち同性は同じ常識を共有していると思ってしまう。きっと周りの同性もそう思っている……。その常識でわたしを迫害、する。

前にバイト先で(かなりしょうもないことで)老婆に怒られたので、わたしは喉のあたりをカッと熱くしたが、「この人はもう老いていて若い女の子の当たり前をしらないんだから、しらないだけのこの人を否定したら可哀想かな」と思って溜飲を下した。そう わからないだけだから、罪ではない。だから否定しないであげた。そういうことはたくさんある、そう思うことにする。