日刊嶋根

毎日刊行する嶋根いすずのエッセイ

令和に寝取られた

じぶんが生まれた前後に流行っていた歌がいちばん心惹かれるね、これはなぜなんだろうなあ、とよく考える。音楽に限らず、ひとは永遠にじぶんの幼少期を生き続けているね。(わたしは2000年代のボカロ、エロゲソング、アニソン、アイドルなどが好きだ。最近は専らave;newを聴く。)

メズマライザーを知っているか?わたしはほんの少し前まで聞いていなかった。一度ニコ動でメシマズライザーって検索したけど何も出てこなかったから、それっきりで。わたしの他にもメシマズライザーって調べちゃってる人たくさんいた。

おれは昔のボカロが好きで、昔の「暗さ」の中に生きていると思っていた。それは現世からちょっと足を離して生活することだったりした。

でもいま、メズマライザーを聴いたら、こっちのほうが肌に入ってきた。こっちのほうが肌でわかるんだ。おれは令和の若者だから、いまを生きてるから……。

だからおれが生きている・分かってると思い込んでいた「暗さ」は所詮「昔の人たちの暗さ」で、本当におれが浸っている「暗さ」は「メズマライザー」にみられるような令和6年の「暗さ」なんだった、そういうことがわかってしまったよ。「“わかる”さ」の濃度の違いをしってしまったよ。スカしてても結局こっち側?にいる。おれは若者である、と痛感する。こんなふうにあっさりと歌われてしまう。メズマライザーに限ったはなしではない。もっとこの感覚に適した曲があるだろう。

「好きではないうたに、知らないあいだにどこかで自分のことを歌われている気持ち悪さ」さえも感じる。(特定のうたを「嫌い」と言ってるわけではない。メズマライザーはリピートしている。)

わたしは確かに初音ミクより先に生まれて平成も生きたけど、そのとき若者だったわけじゃない、もっとガキだったから。あの頃のうたはわたしのために歌われていたわけではなかったんだね。あのとき初めて音楽で泣いたのに、あれはわたしのうたではなかったんだね。裏切られたかな……そんな気持ちになる。

べつに悲観的になったわけではない、
ただ、今わたしは令和の若者であり、最も「歌われる立場」にいること。嫌いな曲にもじぶんのことを歌われてしまうこと。反対に、わたしが好きな時代の曲はわたしを歌っているわけではないこと。そのときにはそのときの「歌われてる若者」がいたこと……などを、くるくると無限に想像して、途方に暮れただけなのでした。