日刊嶋根

毎日刊行する嶋根いすずのエッセイ

恐ろしいのは時間の止まらないことだ

今日、いいな、と思ったものは自転車。赤いやつ。波の満ち引きみたく揺れながら遠くなってゆく。今日の風力と同じようなペースで。私は自転車に乗れないので、たびたび羨ましく思う。風が頬を撫でてさぞ気持ちいいだろう。頬よりもっといいのは、耳の裏側を通る風だろう。だらんと垂れた腕をさらっていく風もいいだろう。

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最近はもう授業ひとつ聞くのにもじっと座っていられない。夥しい量の「時間」が自分の手から抜け落ちていく感覚に大きな恐怖を感じる。数えきれないくらいの人数で、誰も前を向いていない教室に閉じ込められて、なぜ周りの人たちは発狂しないのか、じっとしていられるのか不思議でしょうがない。こんなこと、やめちゃおうか、と思ってる。嫌いなことから逃れるのがうますぎて、誰にも私を止められない。

恐ろしいのは時間の止まらないことだ。毎日そう言っている。数年前までは、生活に耐えられなくなったら何日も徹夜を繰り返して時間の隙間を伸ばしていた。やがて体がぼろぼろになり、そんなこともできなくなった。自分で時間をコントロールできない、そこにストレスを感じている。私は時間を止められなくなった。能力の、剥奪。

あの頃私が滞在していた時間の隙間はどこへいった。自室で天を仰いだとき無限に膨張して見えていた天井の模様は。輪郭の無い光は。全てが大きかった。飲み込まれた。

そういえば半年前にポケモンスリープをダウンロードして、結局二ヶ月でやめたのだが、それ以来無茶な夜更かしはしなくなった。生まれた瞬間から何か欠けてるので「寝る」「食べる」の自由を自分に許せなかった。この歳になってようやく「人は寝てもいい」ことを知る。それでようやく、ぼろぼろになった体を労わって、数年単位の不眠で溜まった負債を毎日少しづつ解しているところである。一日や二日でチャラになるものではないと覚悟している。

しかし久しぶりに「深夜」を体感すると感動するのである。この時間にしか目覚めない感覚があり、思い出せない記憶があるのだ。体と心が正しく繋がるのは真夜中だけだと思う。そこで見える景色があまりに楽園なので、これはどんなに睡眠時間を削ってでも訪れたくなる魅惑の空間だ、と思った。また戻りたい。

わたしの周りにある「時間」について、またいつか考える。いつかは。

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来月の目標を一つ考えようと思って、「自主的にお菓子を買わないこと」に決めた。

6月は禁止。スーパーに寄ったとき欲しくもないお菓子を買って、結局その日に消費してしまうという悪しき習慣を断つ。昼食の際に砂糖の塊みたいな菓子パンを食べることも禁止する。おかあたんが買ってきたお菓子とかメロンパンは食べてもいい。

半年ほど前まで頻繁に食事を抜いていた(時間の都合上)が、すると体が半飢餓状態になってしまい、食べ物を目の前にした瞬間信じ難い速度で口に詰め込む癖が治らなくなった。脳が、もっと早く食べろ、もっと食べろ、と命令するまま。おお、これが摂食障害の入り口か?と思った。まったく恐ろしかった。それ以降なるべく食事は抜かないようにしている。

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街中で人とすれ違うとき、あなたがイヤホンで何聴いてるのか気になって仕方ない。私は仏頂面であべにゅうぷろじぇくとメドレーばかり聴いているので、もしあなたもその顔であべにゅうを聴いていたらどうしようかと思う。